リュック・トランブレ

インタビュー

リュック・トランブレは1977年から1981年までケベックのダンス・カンパニー「ダンス・パルトゥ Danse Partout」に参加して、コンテンポラリー・ダンスのダンサーとしてのキャリアを開始しました。1981年から1985年まで、トロント・ダンス・シアターのソリストを務め、カンパニーの数多くの国内外のツアーでパートを取りました。

  • リュック・トランブレ
  • モントリオール
  • 振付師および教育者

1986年から1996年まで、リュック・トランブレはダンス・パルトゥの専属芸術監督ならびに振付師でした。彼の指揮の下、カンパニーは多くの創作活動とツアーを実現し、1991年に優れた文化活動を表彰する際にケベック市賞を受賞しました。1994年にはカンパニーの総監督となり、リュック・トランブレは1996年に公式に設立されたケベックのコンテンポラリー・ダンスのコレオグラフィー・センター「ラ・ロトンド La Rotonde」の基盤を作りました

1980年から、リュック・トランブレはダンス、演劇、サーカスのプロフェッショナルなカンパニーと、ダンスの教育施設のために40以上の振付け作品を作ってきました。幾つかの作品はカナダや外国のツアーで上演されています。中でも、ダンス・パルトゥのための『崩壊、蜃気楼La Débâcle, Mirage,,』と『魔法は続くが、もはや効かない Le charme persiste mais n'opère plu』の振付け、ヌーヴォー・シルクのカンパニー「レ・ジャン・デールles gens d’R」のための『エコーÉCHOS』の振付け監督によって、聴衆および批評家の間で国際的な評価を確立しました。

国内外のいくつもの著名な機関で教えてきたことによって、この振付師は教育者としても認められています。

1999年以降、リュック・トランブレは芸術コーチ、芸術トレーニング監督、『ラ・ヌーバ』、『デリリアム』、『クーザ』の芸術監督のポストを歴任してきました

シルクでコラボレートしてきたプロジェクトにおける、ダンサーへのあなたのアプローチはどのようなものですか?

私自身がダンス畑の出身であることから、シルク・ド・ソレイユのスペクタクルにおいて、常にダンサーに多くの価値を置き、シルクの世界に調和させる手助けの方法を見つけることが私の気がかりです。

異なる経歴と国籍を持つダンサー達と一緒に働く上でもっとも興味深い面は何ですか?

国籍の混合は常にシルク・ド・ソレイユの創造性を沸き立たせることに貢献していると私は思います。また、国際的な規模、文化間・アーティスト間・異なる創造スタイル間の交流の増大に私たちは接しています。こういったことは新しい芸術形式の出現に大変貢献しています。

あなたの創造哲学をどのように表しますか?

私にとっては、一緒に働いているアーティストを注意深く観察し、彼らの性格を良く捉え、強さと弱さを知り尽くすことは非常に重要なことです。この方法によって、創造的なプロセスに与える、彼らが持っている唯一無比なものに貢献することができるのです。

あなたにとってシルク・ド・ソレイユでダンスが担っている役割とは何ですか?

ダンスは私たちのスペクタクルにおいてますます重要な役割を演じるようになっています。それゆえ、私たちはダンサーのキャスティングのアピールをもっとも重視しています。かつては、チームでもっとも大きな部分を構成していたのはアクロバティストでした。例えば『デリリウム』のようなスペクタクルでは、ダンサーはキャスティン��で最も多くの数を構成しています。

創造性のレベルでは、ダンスは私たちの色彩パレットを多用かつ豊かにし、スペクタクルで使う動きの言語の複雑さをさらに深めることに貢献しています。

シルク・ド・ソレイユで働いていて最も刺激的なことは何ですか?

シルク・ド・ソレイユでは、卓越性は私たちの日常の一部となっています。新境地を開き、創造的であり続け、チームで働くことを知らなければいけません。加えて、シルク・ド・ソレイユは非常に重要な芸術的交差点、ならびにあらゆる地平から来るアーティストとアクロバティストの交流の場へとなりつつあります。