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プレスルーム

 

報道資料

Cirque du Soleil (シルク・ドゥ・ソレイユ)では、各種ショーのプレスキット、会社情報を用意しております。

OVO

OVO は、さながらカラフルな生態系の饗宴のようです。そこでは生命がみちあふれ、昆虫がノンストップの激しいエネルギーと動きで、働き、食べ、這いずり回り、ひらひら飛び回り、遊び、戦い、愛を求めます。 昆虫の巣は、騒がしい動きと穏やかな感情に満ちた生物の多様性と美の世界です。

中央にミステリアスな卵が出現すると、昆虫は畏敬の念を抱き、謎と生命のサイクルを象徴するこの物体に興味津々です。

ぶかっこうでよじれた姿のある昆虫がこのざわざわしたコミュニティにたどり着いて、すてきなテントウムシに目を奪われるや、互いに一目ぼれしてしまいます。

OVO にはたくさんの対比が出てきます。 私たちの足元の隠された秘密の世界は、穏やかで強烈、さわがしくて静か、平和で混沌とした世界として表現されます。 そして、新しい希望の朝に太陽が昇ると、昆虫の生活の躍動する周期が新たに始まります。

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OVO - クリエーター

  • ギー・ラリベルテ

    創設者

    ギー・ラリベルテは 1959 年にケベックシティで生まれました。アコーディオン奏者、竹馬乗り、火食い芸人、そしてギーは、少人数のグループのサポートも得て、ケベック最初の国際的名声を得たサーカス集団を結成しました。大胆な夢想家、ギー・ラリベルテは、ベ・サン・ポールの Fête foraine (ラ・フェト・フォレーヌ)から優秀な人材を発掘して才能を育て、1984 年に Cirque du Soleil を結成しました。

    ギー・ラリベルテは、文化、芸術、アクロバットを融合して調和させた最初の人物です。この調和こそ、Cirque du Soleil の象徴です。1984 年以降、彼はすべてのショーでクリエイティブチームを率い、サーカスアートを偉大な芸術分野のレベルにまで引き上げることに貢献してきました。

    Cirque du Soleil は、活動と影響の範囲の大きさにおいても、国際的組織に成長しました。現在ギー・ラリベルテは、5 大陸で活動を続ける組織のトップの座にあります。

    2007 年 10 月、ギー・ラリベルテは ONE DROP FOUNDATION を組織し、彼の人生の次のステップに踏み出しました。この組織は、安全な水を継続的に供給することによって、世界中の貧困と闘うことを目的としています。この新たな夢は、水を得る権利は世界中の個人と共同体の生命の維持に不可欠であるという認識、そして創立当初から Cirque du Soleil の理念の核となっていた価値観が発端となっています。その価値とは、生命は自分が与えた分だけこちらに与えてくれ、たとえ小さな活動でもいずれ効果を発揮する、という信念です。

    ギー・ラリベルテは 2009 年 9 月に民間人としてカナダで初めて宇宙旅行を行いました。彼の使命は、地球上の人類が直面している水の問題に対する関心を高めることでした。「Moving Stars and Earth for Water」というテーマのもと、この宇宙始まって以来最初の Poetic Social Mission(詩的な社会活動)は芸術的なアプローチで人々の心を動かすことを目的としていました。そのアプローチとは、さまざまな芸術的パフォーマンスによる 120 分間の Web キャスト特別プログラムを、5 大陸の 14 都市と国際宇宙ステーションで公開するというものです。

    主な受賞歴と特記事項
    2012 年、ギー・ラリベルテは American Gaming Association の「Gaming Hall of Fame」を受賞しました。2011 年には、カナダのビジネス功労賞「Order of the Canadian Business Hall of Fame」を受賞しました。2010 年に、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにギー・ラリベルテの星のプレートが設置されました。同年、ケベック州政府により、6 年前に授与された名誉賞「シュヴァリエ」よりさらに上級の「オフィシエ」が、「Ordre de la Pléiade」のメンバーとして授与されました。2008 年にギー・ラリベルテはラヴァル大学(ケベック州)より名誉博士号を授与されました。その前年には、Ernst & Young Entrepreneur of the Year 賞を、ケベック州、カナダ、国際の全 3 レベルで受賞しました。2004 年には、カナダ総督より、カナダ最高の栄誉であるカナダ勲章を授与されました。 同年、タイム誌により、「世界で最も影響力のある 100 人」のひとりに選出されました。2003 年には、Condé Nast グループにより、クリエイターとイノベーターを対象とする Never Follow Program で栄誉を称えられました。2001 年、彼はグレーター・モントリオール・アカデミーにより、偉大なるモントリオール市民の称号を与えられました。1997 年には、ケベック州政府最高の栄誉であるケベック勲章を授与されました。


    その他の受賞歴と特記事項

    2009
    Canadian Marketing Associationによる、ライフタイム・アチーブメント賞を受賞

    2002
    カナダのウォーク・オブ・フェームに名前が彫られる

    1998
    アメリカン・クラフト博物館(現在はニューヨークのアート・アンド・デザイン博物館)によるヴィジョナリー・アワードを受賞

    1996
    第 43 回 Gala du Commerce(ケベック)にてVision nouvelle賞を受賞

    1988
    Gala Excellence La Presse(ケベック)のパーソナリティ・オブ・ザ・イヤーを受賞

    1988
    Les Affaires 誌(ケベック)の Entrepreneur of the Year 賞を受賞

     

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  • ジル・サンクロワ

    アーティスティック ガイド

    ジル・サンクロワがショー・ビジネスの世界に進みたいと両親に初めて打ち明けたとき、両親は「それだけはやめなさい」と反対しました。サンクロワはケベックの田舎町で育ちましたが、いつか必ず町を出ていこうと決めていました。その後、彼はヒッピーとなり、コミューンを転々とする放浪生活を送りながら、1960 年代のヒッピーの聖地、アメリカ西海岸に行き着きました。そこでは、コミューンで暮らし、演劇講座をいくつか聴講しました。

    サンクロワは世間に合わせて、しばらくの間は設計事務所で働きましたが、自分は型にはまったビジネス・キャリアには向いていないと心の中でわかっていました。一方で、その天職探しにおいては、明確な目標がありました。10 代の頃からずっと、成功したいという思いが強く、人を楽しませたいという思いも同様に強かったと彼は語ります。しかし、そんな彼に、極めて珍しく、思いもよらない形でショー・ビジネス界入りのチャンスが訪れます。

    1970 年代後半、ジル・サンクロワがケベック州ヴィクトリアヴィルのコミューンに住み、りんご摘みの仕事をしているときのことでした。ある日、脚にはしごを付けられれば、仕事がずっと楽になるのにと考えた彼は、竹馬第 1 号を考案します。

    近くのバーモントにあるブレッド・アンド・パペット劇場では、多くのパフォーマンスで竹馬を使っていると友人からたまたま聞き、サンクロワは一座を見に行ってみました。そこで、自分のりんご摘みのスキルが広いエンターテインメントの世界で役立つかもしれないと気付きました。

    1980 年、ジル・サンクロワと大道芸人の一団は、Échassiers de Baie-Saint-Paul(ベ・サン・ポールの竹馬乗り)を結成し、Fête foraine de Baie-Saint-Paul(ベ・サン・ポール・フェスティバル)という大道芸フェスティバルを開催しました。これを前身とし、彼は 1984 年にギー・ラリベルテと共に Cirque du Soleil を設立します。

    1984 年と 1985 年に、ジル・サンクロワは Cirque du Soleil のために竹馬を使用した多くのパフォーマンスを発案して行いました。1988 年、Cirque のアーティスティック・ディレクターに就任すると同時に、世界のすみずみまで人材探しを行いました。1990 年から 2000 年には、Cirque du Soleil の全作品の創作ディレクターを務め、Nouvelle Expérience、Saltimbanco、Alegría、Mystère、Quidam、La Nouba、"O"、Dralion を世に送り出しました。1992 年には、Cirque du Soleil の日本初公演作である Fascination の演出を担当しました。また、ドイツで上演され、1997 年のディナー/キャバレー・ショーの火付け役となった Pomp Duck and Circumstance も手掛けました。

    2000 年、Cirque du Soleil の顧問を続ける傍ら、ジル・サンクロワは最大の夢の 1 つを叶えようと決意しました。馬への情熱に突き動かされた彼は自身の劇団を設立し、2003 年に Cheval-Théâtre を制作しました。これは、テントの下で行われる 30 頭の馬と 30 名のアクロバット・アーティストによるパフォーマンスを目玉とするショーで、北米 10 都市で上演されました。

    2002 年 12 月からは、新規プロジェクト開発部門の創作担当副社長として Cirque du Soleil に復帰しています。2006 年 7 月、ジル・サンクロワはクリエイティブ・コンテンツ担当上級副社長に任命されました。

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  • デボラ・コルカー

    劇作家、ディレクター、振付家

    ブラジル出身のデボラ・コルカーは、幼少時からクリエイティブな環境で育ちました。バイオリニストであり指揮者でもあった父親の影響で、デボラは 8 歳のときにピアノを習い始めました。「14 歳のときにはオーケストラと共演するほどの腕前でしたが、スポーツか何かを通して、体で感情を表現する必要もあるとすぐに気付きました」と彼女は語ります。「とにかく情熱にあふれていた私は、コンテンポラリー・ダンスに出合い、体の動きと知的感情を組み合わせることを覚えました」。

    1980 年、デボラは、ウルグアイの振付家、グラシエラ・フィゲロアのコリンガ・カンパニーに入団しました。1984 年、振付を開始した彼女は、ミュージカル、ショー、テレビ番組、映画、サンバ・スクールなどのために振付の一部を担当するようになりました。

    振付により独自のボディ・ランゲージを作り出したいと考えたデボラは、1994 年に自身のダンス・カンパニー、Companhia de Dança Deborah Colker(デボラ・コルカー・ダンス・カンパニー)を設立します。そして、Vulcão、Velox、Mix、Rota、Casa、4 Por 4 などの高い評価を得た長編ダンス作品を多数制作しました。

    ブラジルでは、大勢の観客がデボラの個々の作品に魅了され、常連となりました。「私の作品は、ブラジルに似ています」とデボラ。「色、ダイナミックな動き、リズム、幸せ、発見にいたる長い道のりの可能性、これらがすべて混じり合っているのです。自分のバックグラウンドが、美しくクリエイティブで、音楽に満ちたこの国であることを誇りに思います」。

    受賞に輝いたデボラの作品は、たちまちダンス界全体の関心を集めました。2002 年、ベルリンのコーミッシェ・オーパーに招待され、Casa(元は、1999 年にデボラのカンパニーのために制作された作品)と Ela の全振付を担当しました。続いて 2006 年、ハンブルクのカルチャー・ファクトリー・オブ・カンプナーゲルのために Maracanã を制作しました。デボラは、2001 年の MIX の振付で、イギリスで最も重要な文化賞の 1 つ、ローレンス・オリヴィエ賞(ダンスの分野における優れた業績を称える「ダンスにおける傑出した業績」部門)をブラジル人アーティストとして初めて獲得しました。

    Cirque du Soleil の仕事をすることになり、デボラは従来のやり方を変えなければなりませんでした。リハーサル・プロセスの重要な一環としてコンセプトを考案することには慣れている彼女ですが、Cirque 2009 では、リハーサル開始の 1 年半も前にコンセプトを考え出さなければならなかったのです。

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  • シャンタル・トランブレー(Chantal Tremblay)

    創作ディレクター

    1980 年代末、ダンスでのキャリアを求めてニューヨークで暮らしていたシャンタル・トランブレーは、Cirque du Soleil のショーを見て入団を決心しました。彼女は Cirque プロジェクトでダンサーとしてのキャリアをスタートし、後に「Mystère」の作品で振付師のデボラ・ブラウンのアシスタントを務めるようになりました。以降、「Alegría」や「La Nouba」など、多くの Cirque プロジェクトを手掛け、「Mystère」ではアーティスティック・ディレクターを務めました。その後、そうした確固たる実績が認められ、「The Beatles LOVE」と「OVO」のショーでは、創作ディレクターを務めるまでになりました。

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  • グリンゴ・カルヂア

    大道具・小道具デザイナー

    元は体操選手だったグリンゴ・カルヂアは、ブラジルの舞台芸術と映像の世界で最も人気の高いデザイナーの 1 人として、誰もがうらやむ高い評価を得ています。

    グリンゴは、これまで自分がデザイナーとしてのキャリアでかかわってきた、建築、グラフィック・デザイン、舞台演出という 3 つの分野を 1 つにまとめることに成功しました。さらに、映画と映像の監督としてはもちろん、演劇、オペラ、ファッションのプロデューサーとしても成功を収めています。

    1989 年に、グリンゴはブラジルでサーカス団を結成しました。その後、1994 年に OVO のディレクター、デボラ・コルカーと協力して、セット・デザインに多くを語らせる視覚言語を創案しました。「セットをデザインするとき、大きなことを考え、限界に挑戦するのが好きです」と彼は言います。「背景を、作品をサポートするものとしては捉えてません。背景は、単なる装飾以上のものです。ダンサーやアクターによって使われ、巧みに操られる、ショーのコンセプトに欠かせない要素であるべきです」。

    このアプローチが功を奏したのは明らかです。グリンゴはこれまでに、100 以上の舞台作品と 150 以上の音楽ショーのセットをデザインしています。70 以上のミュージック・ビデオで数々の賞を獲得し、1990 年には MTV ビデオ・ミュージック・アワードのブラジルの最優秀ビデオ部門で受賞しました。さらに、アントニオ・カルロス・ジョビンやジルベルト・ジルを含む、ブラジルの超有名ミュージシャンのアルバム・ジャケットのデザインも何百と手掛けています。彼の作品は 20 以上の賞を獲得し、デボラ・コルカーのダンス・カンパニーが上演した Mix は、ローレンス・オリヴィエ賞に輝きました。

    2000 年、グリンゴは女優のマリーザ・オルスと共に Spectaculu(スペクタクル)という非営利団体を設立しました。ここでは、経済的に恵まれない地域出身の生徒達が劇場工芸を学んでいます。ここを卒業した 2,000 以上の若者がエンターテイメントの世界でキャリアをスタートさせています(www.spectaculu.org.br)。

    グリンゴ・カルヂアは、Amazonia Brazil という展示会のデザインと管理を担当しました。この展示会は、2004 年以来、世界各地で開催されています。また、2006 年には、アムネスティ・インターナショナルの映画「No Arms」で監督を務めました。建築分野で最近手掛けた仕事としては、リオデジャネイロの電気通信博物館とベロ・オリゾンテの新しいミナスジェライス記念館のデザインなどがあります。

    グリンゴ・カルヂアは、Cirque du Soleil のセットのデザインを、舞台セットというより建築物のデザインとして捉えています。「Cirque のショーは 2、3 か月といった短期間ではなく、10 年から 15 年という長期間にわたり上演されるものです」と彼は指摘します。「Cirque は調査と開発に力を入れていますし、技術のクリエイティブな限界に絶えず挑戦しています。それが、私自身のアプローチにぴったり合うのです」。

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  • リズ・ヴァンダル

    衣装デザイナー

    リズは 1988 年にファッション・デザイナーとしてのキャリアをスタートさせました。そのスタイルは、未来のスーパーヒーローと中世の甲冑からインスピレーションを受けたものでした。ビニール、プラスチック、ポリウレタンといった材料を使って、優れた作品に命を吹き込みました。

    1990 年に、リズはモントリオールのダンス・カンパニー、ラララ・ヒューマン・ステップスの創設者であるエドゥアール・ロックとタッグを組んで仕事をするようになります。そして、Infante c'est destroy(1991 年)、2(1995 年)、Exaucé/Salt(1999 年)、Amelia(2002 年)、パリ・ペラ座のためのAndré Auria(2002 年)、Amjad(2007 年)といったエドゥアールのショーの衣装デザインを担当しました。

    衣装と体の動きを結び付けるリズの能力に目を付けた他の振付師やダンス・カンパニーも、彼女に定期的に仕事を依頼するようになりました。その他、カンパニー・マリー・シュイナール、マージー・ジリ、ビル・コールマン、ホセ・ナヴァス、オ・ベルティゴ、モントリオールのレ・グラン・バレエ・カナディアン、ワシントン・バレエ団、ナショナル・バレエ・オブ・カナダ、ドイツのマンハイム国立劇場とシュトゥットガルト・バレエ団の仕事もしました。

    1992 年にパートナーのイヴリーヌ・ ボンジャンと共に会社、ヴァンダル・コスチュームを設立して以来、リズはファッション、演劇、オペラ、ミュージカル、映画の分野の衣装制作に当たり、革新的な作品を生み出してきました。バックストリート・ボーイズからのオファーを受け、ブラック・アンド・ブルー・ツアーの衣装デザインも担当しました。また、2002 年公開の映画 The Lathe of Heaven(フィリップ・ハー監督)、La Turbulence des fluides(マノン・ブリアン監督)でも彼女の衣装が使われています。

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  • フレッド・ジェラール

    アクロバット装置担当デザイナー

    ジンガロ・サーカス(フランス)で驚くべき出会いを経験した後、フレッドは 1984 年に石油採掘の仕���を辞め、サーカス・アートの世界に進みます。シャロン・シュル・マルヌ(フランス)の National Centre for Circus Arts(国立サーカス・アート・センター)で空中ブランコを学び、1 期生として卒業したフレッドは、Cirque du Soleil のショー、Nouvelle Expérience でブランコ曲芸師をしないかと誘われました。怪我をしてステージでの仕事を諦めざるを得なくなってからは、ショーのディレクターやアーティスティック・ディレクターのアシスタントとなりました。その後、ツアー・アーティスティック・コーディネーターとしての仕事を引き受けました。ヨーロッパでの短期間の仕事を終えたフレッドは、Cirque du Soleil に戻り、Alegría と Mystère でアクロバット装置デザイナーとしてのキャリアをスタートさせます。カナダのモントリオールにある Cirque du Soleil の本部で装置責任者を務め、サーカスの技術者の訓練を行う傍ら、1997 年から 2006 年の間、彼は複数のツアー・ショーでもこれらの職務を果たしました。サーカスの友人達の助けを借り、フレッドはフランス南部のマルティーグにニッケル・クロムというグループを共同で結成しました。サーカス・プロジェクトを支援するこの組織の一員として、彼は世界中のサーカス・プロジェクトおよびカンパニーのテント・マスター/装置責任者、アーティスティック・ディレクター、デザイナー/トレーナーを務めています。ニッケル・クロムと Théâtre Europe(テアトル・ヨーロッパ)の仕事をしながら、フレッドは、フランスのラ・セーヌ・シュル・メールのフェスティバル Janvier dans les Étoiles の制作と開発にも携わりました。OVO 以降、フレッド・ジェラールがアクロバット装置デザイナーとして Cirque du Soleil のショーに参加するのは、今回で 2 度目です。

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  • ベルナ・セパス

    作曲家兼音楽ディレクター

    音楽をわずか 1 年学んだだけで学校をやめたベルナ・セパスは、さまざまなバンドでギタリストとして活動するようになりました。その後、シンセサイザー、サンプラー、コンピュータと手を広げていきました。25 歳のとき、彼はグラフィック・デザインを学ぶために学校に戻るものの、自分が本当にやりたいのは音楽だとすぐに気付きました。演奏はもちろん、作曲やアレンジにも興味がありました。

    1994 年、ベルナは Cirque 2009 のディレクター、デボラ・コルカーとの仕事を始め、彼女のダンス・カンパニーのすべてのショーの音楽を手掛けました。「デボラとは、ある種の共存関係のようなものを築き上げました」とベルナは話します。「私達は単なるビジネス・パートナーではなく、友人なのです。お互いをよくわかっていて、一緒に仕事する方法を確立しました」。

    リオデジャネイロにある自身のスタジオで、ブラジルと日本の大勢の一流ミュージシャンと仕事をするベルナは、ブラジルの主流の音楽シーンで引っ張りだこのプロデューサーです。また、ブラジルの人気インディーズ・ポップロック・バンドをいくつかプロデュースしていることでもよく知られています。

    ベルナは、2000 年以来、映画業界で幅広い活動をしてきました。有名な O Passageiro(The Passenger) と Niemeyer A Vida é um Sopro(Niemeyer - Life is a Breath of Air)をはじめとして、多数の映画の音楽を手掛けています。また、Brasil Legal and Muvuca などのグローボ・テレビの番組向け音楽を制作したこともあります。ディスカバリー・チャンネル・シリーズの Blast Off のために作曲した音楽は、世界中で放送されました。

    2002 年、ベルナは A Orquestra Imperial(ア・オルケストラ・インペリアル)というバンドを結成しました。バンドはたちまち人気を博し、リオデジャネイロの現代音楽シーンに加え、その他の分野の活性化にまで貢献しました。バンドは海外活動も開始し、パリ、ロンドン、シカゴなど、ヨーロッパやアメリカのさまざまな都市でショーを行いました。

    「私の場合、特徴的なサウンドというのがありません」とベルナは言います。「いっとき、サンプリングで知られていたことがありましたが、あれはかなり限定的なものでした。最近では、作品ごとのニーズを反映した音楽を作っています」。自身を取り巻くクリエイティブな環境に絶えず適応しているベルナは、自分を一種のカメレオンだと表現します。「どんなときも私は私ですが、自分に課す課題は、クリエイティブなチームの他のメンバーの課題と密接に混じり合っています。私達は、共通の目標に向かっているわけですから」。

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  • エリック・シャンプー

    作曲家兼音楽ディレクター

    16 歳の頃から絵を描いてきたエリック・シャンプーは、常に照明に強い関心を持っていました。

    1997 年に National Theatre School of Canada(カナダ国立演劇学校)を卒業したエリックは、ケベックやヨーロッパの 60 以上の劇場の照明デザインを手掛けてきました。アンドレ・ブラッサール、ジル・シャンパーニュ、アリス・ロンファール、ルネ・リシャール・シル、クロード・ポワッサン、イブ・デガニェなどのケベックのディレクターと組んで仕事をしたこともあります。

    ここ十数年、エリックはワジディ・ムアワッドと特に緊密に仕事をしており、Rêves、Les Troyens、Le Mouton et la Baleine、The Three Sisters、Incendies、Fôrets の他、最新作 Seuls の照明も担当しました。

    エリックは、2006 年にテアトル・エスパース・ゴーで上演されたアリス・ロンファールの作品 Désordre Public の照明デザインを手掛けました。同じ劇場で、劇作家とディレクターの集団が制作した La Promesse de l'aube と Les hommes aiment-ils le sexe, vraiment, autant qu'ils le disent? の照明も担当しました。

    現実のアート、そして架空のアートを観客に届けるという使命の下、エリックは絵画の熟練の技を照明という手段により向上させるために、たゆまぬ努力を続けています。

    「私は人の体や物に照明という絵の具を塗っているのです」と彼は言います。「絵を描くときときとまったく同じ手法でステージ上の照明のイメージを描きます。何層にも絵の具や光を重ね、色彩のキャンバスの上のキャラクターを際立たせていきます。そうしてできあがった絵画も照明も、同じアプローチに基づいているというわけです」。

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  • ジョナサン・ディーンズ(Jonathan Deans)

    サウンド・デザイナー

    ミュージカルの世界で最も人気の高いサウンド・デザイナーの 1 人と言われるジョナサン・ディーンズは、Viva ELVIS(ビバ・エルビス)の音環境を担当した人物です。Saltimbanco(サルティンバンコ)、Mystère(ミステール)、“O”(オー)、La Nouba(ラ・ヌーバ)、ZUMANITY(ズーマニティ)、KÀ(カー)、Corteo(コルテオ)、The Beatles LOVE(ザ・ビートルズ・ラブ)、KOOZA(クーザ)、Wintuk(ウィントゥック)、CRISS ANGEL Believe(クリス・エンジェル ビリーブ)、そして最新作の OVO(オヴォ)でサウンドスケープをクリエイトしてきたことを通して、Cirque で制作中の作品やチームワークによるクリエイティブなアプローチがかなり刺激的であることを認めています。

    彼は幼い頃、エレクトロニクスに夢中でした。15 歳のときに俳優としてロイヤルシェークスピア劇団に入団し、そこでサウンドへの強い関心が演劇的な要素に溶け込むきっかけとなりました。数年後、音楽業界でサウンド・エンジニアの肩書きを持つようになり、特に Morgan Studios でキャット・スティーブンス、ポール・サイモン、リック・ウェイクマンなどのアーティストと肩を並べて仕事をしたのち、彼はロイヤル・オペラハウス(コベントガーデン)で再び演劇の仕事を手がけるようになり、その後、ミュージカルの「コーラスライン」ではサウンドミキシングを担当しました。彼は次から次へと成功を収め、サウンド・ミキシング・エンジニアとして、「エビータ」、「キャッツ」、「ダウンタウン物語」、「サウンド・オブ・ミュージック」をはじめとする数多くの作品を手がけるようになりました。

    ミキシング・サウンド・エンジニアとしての成功により、彼はミュージカル「マリリン」のサウンド・デザイナーとして雇われることになりました。その後、「タイム」、「レ・ミゼラブル」、「カリブの反乱」、「ジーン・セバーグ」などのウェストエンドのショーを手がけたのち、ブロードウェイで、「ラグタイム」、「フォッシー」、「ダビデ王」、「くたばれ!ヤンキース」、「タブー」、「ブルックリン」、「吸血鬼レスタト」、「パイレート・クィーン」、「ヤング・フランケンシュタイン」の制作に携わりました。

    ジョナサン・ディーンズにとって、Cirque の常設ショーとビッグトップは、それぞれサウンドデザインの面ではまったくの別世界です。「それらはそれぞれに技術的な要求が異なりますが、音楽とサウンドのテクスチャーとレイヤーに関する限りは、いずれも同じです」と彼は言います。「自分の仕事はすべての作品にユニークな環境を創り上げることです。そして、それがどんな環境であっても、作り出される音響によって、観客が別世界に足を踏み入れていることを実感できるようにする必要があると考えます」。

    「ショーには本物のエルビスは登場しませんが、ショーの要素はすべてエルビスに結びついています。そのため、サウンド・システムで視覚と同じ音響効果を生み出すことは大変に重要で、それらはすべてエルビスの名に値するものでなければならないと思います」。「Viva ELVIS の劇場は、彼の偉大な伝説にふさわしく巨大なものです。その課題に対応できるサウンドを作り出すために、床部分にサブウーファーを埋め込み、コンクリート構造自体が持つ低周波の共鳴音を利用して、低周波の音振動を加えることができるようになりました。これはサウンド効果を生み出すだけでなく、文字通り、生演奏に合わせて観客席を動かすものです」。

    ジョナサン・ディーンズは英国で生まれ、現在はニューヨークに在住しています。

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  • フィリップ・オーベルタン

    アクロバット・パフォーマンス・デザイナー

    1976 年のモントリオール五輪の熱狂に影響され、フィリップ・オーベルタンは 5 歳で体操を始めました。18 歳のときにナショナル・ジュニア・チーム入りを打診されるも、競技をやめることを決意します。体への負担が大きかったからです。代わりに、彼はモントリオールの体操センターのコーチに就任し、1999 年まで在任しました。そして、在職中にカナダコーチ協会によるコーチ認定を受けました。

    同時に、フィリップは大学で競技トレーニングについて学びます。しかし、Cirque du Soleil の魅力に触れ、新たな世界が開けます。

    1999 年、Cirque のアクロバット・パフォーマンスおよびコーチングのディレクター、ボリス・ヴェルコフスキーに雇われ、フィリップは、モントリオールの本部でアーティストのトレーニングを担当することになりました。

    フィリップはフロリダ州でコーチとして La Nouba に参加した後、日本で上演されたツアー・ショー、Saltimbanco でヘッド・コーチを務めました。2004 年、Cirque のヘッド・コーチとしてモントリオールに戻り、その後、Corteo の 2 年間のツアーに参加しました。

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  • ジュリー・ベジン

    メイクアップ・デザイナー

    ジュリー・ベジンは子供の頃から、人を変身させるメイクの力に魅せられてきました。まだ幼いときにいろいろな人のメイクを始めた彼女は、18 歳になると科学の勉強をやめ、メイクの経験を積むために、放浪の旅に出ました。

    友人にけしかけられたことがきっかけで、ジュリーは最初の仕事を得ます。トロントを訪れているときに、メイクの仕事に応募してみるよう言われたのです。メイクを正式に学んだことはなかったにも関わらず、その才能を武器に、彼女は気付けば自分にぴったりの分野で仕事をしていたのでした。

    ヨーロッパとアジアで 8 年以上にわたり仕事に磨きを掛けてきたジュリーは、1998 年、キャリアアップとアートの追求のためにニューヨークに移りました。すぐに高名なメイクアップ・アーティスト、ディック・ページの目に留まったジュリーは、ニューヨーク、ミラノ、パリで活躍するディックのチームであっという間にエースの座を獲得しました。

    ファッション業界やエンターテイメント業界の著名人達は、たちまち彼女に関心を示すようになります。そして、ジョン・ガリアーノ、マーク・ジェイコブス、ヘルムート・ラングなどのファッション・デザイナーがジュリーに仕事をオファーしました。彼女は、エレン・フォン・ウンヴェルトやミック・ロックなどの有名写真家と記事や広告で使う写真撮影の仕事をしたり、セリーヌ・ディオンやアラニス・モリセットなどの世界的に有名な歌手と仕事をしたりしました。

    ジュリーの手法は幅広く、想像力に富んでいます。まるで素顔のようなナチュラルなメイクからドラマチックなスタイルまで、創造性の限界に挑んだときでさえ、彼女がファッションにおいて最も重視するのは常に、顔の本来の美しさを引き出すことです。「Cirque du Soleil のショーのメイクアップをデザインする上での課題は、美しさの向こうにあるキャラクターを引き出すことです」とジュリーは言います。「どんな顔も新しいインスピレーションを与えてくれるし、すべてがうまくいくと、実は個性以上のものを引き出すことができます。その人の魂を垣間見ることができるのです」。

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