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報道資料

Cirque du Soleil (シルク・ドゥ・ソレイユ)では、各種ショーのプレスキット、会社情報を用意しております。

Cirque du Soleil

すべてはケベックシティ(カナダ)の近郊の小さな町、ベ・サン・ポールで始まりました。1980 年代の初め頃、ベ・サン・ポールでは色とりどりの衣装をまとったキャラクターの一団が街を練り歩き、竹馬、ジャグリング、ダンス、火吹き、音楽などの芸を披露していました。彼らこそ、ジル・サンクロワが組織したストリートパフォーマンスのグループ、Les Échassiers de Baie-Saint-Paul(ベ・サン・ポールの竹馬乗り)でした。すでに街の人々はこの若いパフォーマーのグループに心を動かされ、魅せられていました。パフォーマーの中に、後に Cirque du Soleil の設立者のひとりとなり、CEO となるギー・ラリベルテもいました。

 
 
 

経歴

セルジュ・ロワ(Serge Roy)

制作ディレクター

セルジュ・ロワは、Cirque du Soleil が組織として正式に活動を始めた 1984 年より以前からファミリーの一員でした。

彼は音楽一家に生まれ、生まれつき音楽とショービジネスの才能を受け継いでいました。6 歳で舞台に立ち、サックス奏者の父と一緒にドラムを演奏しました。歌にも興味がありましたが、別の道を選びました。

彼は演劇を学び、バンドでドラムを演奏していましたが、ある時、ケベック州のベ・サン・ポールという町に滞在中、自分の居場所をついに見つけたという思いにかられました。そして、地元のユースホステルで、ジル・サンクロワやギー・ラリベルテに出会って親しくなりました。当時、彼らはイベントやハプニングについての夢を語るのに忙しく、それは数年後の Cirque du Soleil 創設へとつながっていくのでした。

彼は 1984 年と 1985 年に開催されたショー「Le Cirque du Soleil」でステージ・マネージャーを務め、さらにそれに続く Nouvelle Expérience(ヌーベル・エクスペリエンス)と Saltimbanco(サルティンバンコ)の 2 つの北米ツアーでは、ツアーマネージャーを務めました。また、Dralion(ドラリオン)、Quidam(キダム)、Mystère(ミステール)、Saltimbanco(サルティンバンコ)では、アーティスティックコーディネーターとしての仕事を引き受けました。2005 年にはデヴィッド・シャイナー監督による KOOZA(クーザ)の制作ディレクターに任命され、Banana Shpeel(バナナ・シュピール)でもコンビを組みました。

制作ディレクターという地位は、他の人を感動させる一方で彼自身の創作意欲も満足させられるというセルジュ・ロワの持つ強みと経験が組み合わされたものです。「制作ディレクターとして成功する秘訣は、人々をひとつにまとめるということです」と彼は言います。「制作ディレクターの仕事は、ゲストディレクターが描く夢と Cirque が長年蓄積してきたノウハウとの橋渡しをして、それらが互いに育めるようにすることです。自分にとって必要不可欠な要素のひとつは、自分が楽しみながら、クリエーターたち全員がそれぞれ自由に活躍し、そして結び付きの強いチームとして協力し合えるような雰囲気を築き上げるということです」。

彼にとっての Banana Shpeel(バナナ・シュピール)は、全く異質で驚異的なスタイルや統制を組み合わせたコラージュです。「このショーでは、観客の気持ちをほんの少し動揺させたいと思っています」と彼は言います。「ボードビル、クラウン芸、タップダンス、エキセントリックダンス、ヒップホップ、フィジカルコメディ、そして最高のマジックの融合とは一体どういうものだと思いますか?それは、サーカスでもミュージカルでもバラエティショーでもありません。ボードビルでもありません。それは Banana Shpeel(バナナ・シュピール)としか言いようがありません」。

セルジュ・ロワは 1957 年にカナダのモントリオールで生まれました。