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報道資料

Cirque du Soleil (シルク・ドゥ・ソレイユ)では、各種ショーのプレスキット、会社情報を用意しております。

Cirque du Soleil

すべてはケベックシティ(カナダ)の近郊の小さな町、ベ・サン・ポールで始まりました。1980 年代の初め頃、ベ・サン・ポールでは色とりどりの衣装をまとったキャラクターの一団が街を練り歩き、竹馬、ジャグリング、ダンス、火吹き、音楽などの芸を披露していました。彼らこそ、ジル・サンクロワが組織したストリートパフォーマンスのグループ、Les Échassiers de Baie-Saint-Paul(ベ・サン・ポールの竹馬乗り)でした。すでに街の人々はこの若いパフォーマーのグループに心を動かされ、魅せられていました。パフォーマーの中に、後に Cirque du Soleil の設立者のひとりとなり、CEO となるギー・ラリベルテもいました。

 
 
 

経歴

ニールソン・ヴィニョーラ

ディレクター・オブ・クリエイション

ニールソン・ヴィニョーラは 1980 年にカナダ国立演劇学校を卒業しました。Théâtre de Quat’Sous、Théâtre du Nouveau Monde、Compagnie Jean Duceppe、l’Espace Libre などのモントリオールの著名な劇団のさまざまな分野で働きながら、演劇人としてのキャリアを築きました。

1985 年にはカナダ芸術評議会とケベック州芸術文化省より助成金を得てヨーロッパへ渡りました。ヨーロッパには 1 年間滞在し、いくつかのオペラで演出家の仕事を間近で観察する機会に恵まれました。1986 年にはフランス、リールのオペラ・デュ・ノール劇場での『ホフマン物語』、ロバート・アルトマンの演出による『放蕩者のなりゆき』のプロダクションにも参加しました。1989 年には東京とトロントで上演された『アイーダ』の制作に参加しました。1990~1993 年には、モントリオール・オペラ劇場の制作ディレクターを務めました。1996 年には、モントリオール・オリンピック・スタジアムで上演された『トゥーランドット』の制作に携わり、1997 年にはマギル大学で上演された『ラ・チェネレントラ』の演出を担当しました。

ロベール・ルパージュ演出の『ファウストの劫罰』は、ニールソン・ヴィニョーラの名をオペラの世界に知らしめるきっかけとなりました。彼はロベール・ルパージュの助手を務めていたのです。このオペラは、日本(1999 年)、パリ(2001 年)、ニューヨーク(2008 年)で上演されました。『1984』(2005 年ロンドンで世界初演)と『放蕩者のなりゆき』(2007 年にブリュッセルとリヨンで上演)にも、ロベール・ルパージュの演出助手として参加しました

ニールソンはこれまでに、フェスティバル、ミュージカル、ダンスプロダクション、ツア公演の演出もてがけています。1987~1997 年には、ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップ、ケベックのシンガーであるディアーヌ・デュフレーヌ、ケベック大衆劇場(Le Théâtre Populaire du Québec)、国際ヌーベルダンスフェスティバル、その他のカンパニーで、ステージマネージャー、プロダクションマネージャー、テクニカルディレクター、アシスタントステージディレクターなどを歴任しました。

シルク・ドゥ・ソレイユとは 1998 年に、Saltimbanco(サルティンバンコ)のテクニカルディレクターと一時的なツアディレクターを務めて以来、一貫して協力関係にあります。2002 年に新しいツアショーのインフラストラクチャの開発の管理を担当した後、ディレクターであるロベール・ルパージュのアシスタントおよびプロダクションステージマネージャーとしてKÀ (カー)に参加し、2005 年の DELIRIUM(デリリアム)ではミッシェル・ルミューとヴィクター・ピロンのもとで、同じ立場で参加しました。このような経歴を経て、ZAIA(ザイア)のディレクター・オブ・クリエイションに任命されました。

「私にとって究極の満足とは、お客様の感情を刺激するようなショーをお見せすることです」とニールソンは語ります。「成功を勝ち取るにはチームで仕事する必要があります。私はチームのメンバーであることに喜びを感じています。ひとりで仕事をするのは好きではありません。アイディアを交換して相互に影響しあうのがほんとうに好きなのです。」

ニールソン・ヴィニョーラ:1956 年ケベック州フォレストヴィル生まれ